“海に若い”と書いて“わたつみ”と読みます。これを読めた方はおそらく古代文学に精通した方です。この一見簡単で難しい名前を命名してくださったのは、万葉集をはじめ古代文学研究の第一人者である中西 進文学博士(
京都市 立芸術大学長・奈良県立万葉文化館長)です。 |
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工事をストップして行われた発掘調査では、この遺跡は弥生時代末および古墳時代の住居跡であるとの見解が、
北淡町 教育委員会(2004年8月)より発表されました。 |
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そして旅館の建つ“野島”という場所は、柿本人麻呂が九州に赴くときにこの地で一夜を過ごした場所であろうと思える歌が残っています。 玉藻刈る 敏馬を過ぎて 夏草の 野島の崎に舟近づきぬ 淡路の 野島の崎の 浜風に 妹が結びし 紐吹きかへす このように淡路島の野島が非常に万葉集に縁が深いと言う事で、万葉集からその名をとって「海若の宿」と命名してくださいました。 万葉集の中に、 「海若は 霊しきものか 淡路島・・・・」という言葉で始まる長歌もあります。 “若い”と言う文字は、万葉かなでは“神さま”を意味するということです。つまり現代文字の“海神”と同じ意味なのですが、その当時は濁点は付いていなくて、“わたつみ”と発音していたと言う事で、当館も『海に若いと書いて、“わたつみ”』と読みます。 各部屋の名も、特別貴賓室『白鳳』『天平』『飛鳥』は時代の名前ですが、本館客室の3階は海中の様子を現す言葉、4階は水面の様子、5階の特別和室は地上の様子を表す言葉で統一し、これらを万葉集から命名していただきました。 各部屋に限らず、レストランも、大浴場からも海を眺める事の出来る当館で、お客様自信が「海の神さま」となり、日ごろのストレス、疲れなどから開放され、豊かな心を持って、のんびりと過ごしていただくお手伝いをさせていただきたいと願っております。 また、海若の宿オープン記念のレセプションに立ち会ってくださった中西先生は、その後、ご自分が毎週担当されている産経新聞のコラムに、遺跡の話などにも触れながら、この地の夕陽の美しさを「赤い輝きを華やかに広げながら、大空全体をさながら美の饗宴のように彩りつつ、沈んでいった」と表現されています。播磨灘に落ちる野島の夕陽は、夕陽百選にも選ばれるほどの、サンセットポイントです。万葉の息吹きに触れながら、いちどこの夕陽の“美の饗宴”をごらんいただきたいと思います。 |
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